はじめまして。ちなです。
スポーツとからだメンテが大好きな、へっぽこゴルファーです。
過去2回の退職を経験し、会社に雇われない働き方を構築するため、脱サラブロガーとしてこのブログを書いています。
ゆくゆくは、日本とカナダに半分ずつ住む「デュアルライフ」を実現させます。
私のこれまでの出来事を、プロフィールとしてまとめました。よかったら読んでみてください。
教員志望を断念
東京生まれ、東京育ち。
元々は、中学の時の担任の先生の影響で体育の先生になりたくて、大学で教員資格を取りました。
大学4年間はバレーボールに明け暮れ、監督の先生からの紹介でスポーツクラブに就職しました。スイミングスクールで働きながら2年間教員採用試験に挑戦しましたが、結局受からずに断念。
思えば、教員になりたい気持ちは段々と薄れていました。
公務員生活25年で早期退職
高校の同窓会で得た情報がきっかけで、はからずも都内の区役所に就職することになり、想定外の公務員生活がスタートしました。
やりたいことを全部やる
男女同一賃金、福利厚生バッチリの環境をフル活用して、やりたいことをやりました。
大学院に行く、1ヶ月ロンドンに留学する、基礎スキー準指導員資格取得、ゴルフの会員権を買う、歯列矯正、レーシック、ネイリスト検定2級取得、セミナー参加などなど、働きながらやりたいと思ったことをやってみる生活でした。
この働き方は違う
でも仕事はと言えば、お金のために時間を切り売りする働き方にずっと疑問を感じ続けていました。
仕事上のストレスから軽い鬱状態になり、3ヶ月間休職したこともありました。
復職するための3ヶ月間のリハビリが超絶キツくて、危うく挫折しかけました。休職したからといって体調が良くなるわけではないことを痛感し、働き方を変えなければ一生後悔すると、この時悟りました。
リハビリを乗り越え、復職して1年間勤めた後、早期退職をしました。25年間勤めた定職を手放すことの恐ろしさでぶるぶると震える手を押さえながら、異動希望シートの「退職」欄に○をつけた時のことが脳裏に焼き付いています。
こうして公務員生活にピリオドを打ち、自分ビジネスを立ち上げ始めました。
アスリートのメンタルコーチで起業
自分ビジネス構築のために自分への投資を惜しまないことにして、いろんなセミナーに参加しました。藁をもつかむ気持ちで、コーチングスクールへ通い、アスリートのメンタルコーチとして起業しました。
トップを目指すアスリートを支える縁の下の力持ちとして、スポーツの世界に貢献していきたいと考えていました。体育専攻である自分の特性を活かしてオリンピック・パラリンピックに関わるためには、どうしていったらいいのかと試行錯誤の日々でした。
でも、コーチングだけできても集客はできず、やむなく低単価で仕事を請け負うことになり、じり貧状態が続きました。
通帳を見るたびに、貯金がすごい勢いでなくなっていく恐怖にさらされ、愕然としました。
インチキ起業塾に50万
コーチングという技術を使ってビジネスをするために、並行して起業塾にも通いました。
ただ起業塾にもいろいろあることを知らずに、ほとんどの塾生が成果を出していないというインチキ起業塾に飛びついてしまったのでした。
お金が減っていく中、50万円も散財した上に主催者とも険悪なムードになり、結局途中で離脱。いったい何のための半年間だったのだろうと考えると、自分の選球眼のなさを思い知って悔やみました。
コーチングで起業して成功している友だちも何人もいる中、稼げていない自分が情けなくて悲しくなりました。
八方塞がりの時期でした。
再び雇われの身に
雇われの身に戻る
その後、大学院の無給研究員として研究室に籍を置きながら、横浜市でトレーニングジムの指導をするバイトを始めました。すると大学院時代の友だちから、東京2020大会に関連する新しいプロジェクトを手伝わないかと声がかかりました。
ここから2年半、母校でお給料をもらって働くことになりました。
東京2020大会に関連する仕事ということに、素通りできない何かを感じました。ただ、あれだけ抜け出たかった「雇われの身」に再び戻る決断をするのは、正直悔しかった。でも背に腹は代えられない現状だったというのもまた事実でした。
東京2020大会に関わる
ところが、これが発端となって転職し、2021年に自国開催された「東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会」に選手団スタッフとして関わることにつながりました。
一生に一度のチャンスである、夏の自国開催に関わることが夢だった私にとっては、まさに夢が叶った出来事でした。
そして、この仕事も2022年1月で退職。私にとっては2度目の退職となりました。
カナダで1年間生活する
その昔、20代でロンドンへ1ヶ月間留学した時のことです。
1ヶ月で帰らなければならないことが無性に悔しかった。せっかく慣れてきたと思ったらもう帰らなくてはいけないなんて、ここまでの自分の体験がもったいないし、とにかく帰りたくありませんでした。
でもその時は、定職を手放す勇気はなくて、泣く泣く日本に戻ってきたのですが、いつか必ず1年間外国で生活するんだ!と強く思いました。
そしてこの時のことは、ずっと忘れることなく私の中に留まり続けていました。
数十年の時を経て、このタイミングでカナダに1年間行く計画が、やっと現実のこととして動き始めました。
日本とカナダのデュアルライフを目指す
2度目の退職は、その仕事に就くときから決まっていたことだったので、カナダ生活の計画は、カナダ出発の3年前から始まっていました。
私のカナダ生活の目的は、「カナダで生活すること」。
もちろん語学学校に1年間通うので、英語ができるようになることも目標の1つではありますが、英語のためにカナダに行くということとは違います。
海外で1年間生活するとどんななのか??が知りたくて、とにかく行ってみたい、実際に体験してみたいという好奇心だけで動いています。
そしてゆくゆくは、日本とカナダに半年ずつ住むデュアルライフを実現したいと考えています。
ブログ「プラチナ好奇心」とは?
このブログ「プラチナ好奇心」は、私がなんで?どうして?知りたい、やってみたい、見てみたい、と感じたことについて綴っていきます。
私はどうやら、大人としては絶滅危惧種である「いつまでたっても錆びない好奇心の使い手」らしいので、その目線を目一杯発揮して、感じたことを発信していきます。
実は自己開示は苦手です。
でも、これもやってみたらどうなるのか、知りたい気持ちの方が強くて、「顔出しナシのニックネーム」でならできそうだなと思い、やってみることにします。
名付けて「プラチナチャレンジ」。どんな風に展開していくのか?実は自分としても興味津々です。