平日は毎日仕事で帰りが遅く、せっかく留学エージェントからメールをいただいてたのに、それに返事をすることができませんでした。疲れ切ってしまうと頭を留学準備にさけないんですよね、情けないことに。
今日やっと留学エージェントに返事が書けたのですが、返事を書きながら考えたこと、感じたことがありました。
滞在先か?目的か?
留学エージェントからのお返事には、希望している滞在先を優先するのか、はたまた留学の目的を優先させるため滞在先を変更するのか、そこを考える必要があると言うことが書かれていました。
確かに、ポイントはそこですね。
私は語学学校で英語の勉強をすることと、できれば働く経験をしたいということをリクエストしていたので、それに適した学校は違う都市でないとないということです。
カレッジや大学という選択肢もアリ
もし希望どおりの滞在先にするのであれば、英語の勉強に特化したり、カレッジや大学に入って勉強するということも可能なのだそうです。
なるほど。学生に戻って勉強するという選択肢もあるわけですね。
そうなると、何を専攻するのか?が重要になってきます。どんな選択肢があるのかをもっと知れば、もしかしたらカレッジや大学に通うということもあり得るんだなと、ちょっと心が動きました。
決められないことを、良くないと思っている
私の中で、留学の目的がユルユルっとなっていることには気づいていました。そして今までだったら、そのユルユルを断ち切ってビシッと方向性を出していたはずです。
でもナゼか今回はビシッと決めることに抵抗がある…。面倒だからではなくて、ビシッと決めない「あそび」の部分に価値があるように思えている…。これを本当に強く感じるのです。
だったらその気持ちを認めればいいじゃないかという話ですが、ここが難解。
どうやら私は、すぐにビシッと決められないことをよしとしていないようなのです。「決められないのは良くないことだ」と感じているんですよね、心のどこかで。
ずーっと決めてきたから、決め続けてきたから、居心地が悪いのかもしれません。慣れていないのかもしれません。これは今までになかった感覚なんですよね。ハイパーおとな女子的な感覚なのだと思います。
「あそび」への期待
“ハンドルに「あそび」があるのが大事” なんてことをよく聞きます。「あそび」がなかったらいきなりハンドルに力が伝わって危ない、だから「あそび」が必要だということです。
無くてもいいのかもしれないけど、あった方がいいという感じ。
私が留学の目的を決め打ちしたくないのは、この「あそび」の部分に期待しているからだと思うのです。予期せぬ出来事や思いがけない展開があって、自然と進むべき方向へ進んだ行くのではないか。目的はこれだ!と決めなくても、どのみちそうなるのではないか。何だかそんな風に感じているんですよね。
なんなら、それを検証したいと思っているのかもしれないです。