2022年5月からカナダで1年間生活するプランを進めるため、かねてから気になっていた現地の留学エージェントにメールをしてみました。
自分の希望を伝える
- 2022年5月から1年間カナダに住みたいこと
- 英語の語学学校に通いたいこと
- できれば働く経験をしたいこと
すると、翌日丁寧なお返事がありました。
目的は何か?
私が行きたいと考えていたのはカナダのカルガリーという所。でも、そこは語学を学びながら働くというよりは、英語の勉強に特化したり本格的にカレッジや大学に進学するのに適しているらしい。
もし、語学を学びながら働いてみたいのなら、バンクーバーの方がオススメであること。
つまり、滞在先を優先するか?目的を優先するか?どちらにするかを決める必要があるとのことなのです。なるほど。やっぱりそこですよね。
この「目的」っていうのが大事なのは重々知ってはいるのだけれど、最近これがボワッとしてきていることにうっすら気づいていたのでした。なので、エージェントからのお返事を読んだとき、「やっぱりな~、目的が重要だよね。」と改めて思ったのでした。
半分マジメ、半分いい加減
おとな女子を極めてまくって60代にもなってくると、悪気があるわけではないんだけれど、目的を聞かれたときの対応が曖昧になっていると感じます。曖昧というか不真面目というか。つまり、30代の頃と比べると、「目的に向かって突き進む感」がぼやけていると感じるのです。
決して目的をないがしろにしているわけではないんだけれど、「目的にしか向かわない考え方」「目的最優先な考え方」が窮屈だと感じているのかもなと思います。
私は特に、やりたいことに向かってまっしぐらな性格でこれまで生きてきているので、やると決めたらゼッタイやるし、やるんだったら「目的」を考えて最短距離でそれに近づこうとしてきました。
でも、これまでとは変わってきているんだよなぁ、こういう所が。
マジメもいいけど、ユルいのもいいじゃん
ここまでおとな女子を極めたからこそたどり着ける感覚というものがあって、今私はそれを味わっているのだと思います。
目的も大事だけど、それを見据えて行動したい気持ちもあるけど、でもあんまり目的に縛られたくないとも思っている…。
この50/50な感覚を、「サボりたいって思ってる」ってことにはしたくはなくて、むしろこれまでにはなかった新しい感覚なんだととらえて、この感覚で1年間海外生活をしてみたいなと思っていることに気がついたのです。
うん。新しい感覚でやってみたいな。ちょっといい加減な海外生活。