2度目の退職を経て、自分のビジネスを構築しようとビジネスコミュニティーで勉強中です。
そこで師匠からいただいたアドバイスについて、心の中でずっと引っかかるものがありました。
自分でもなぜなのか気になっていたので、もう少しよく見てみようと思いました。すると、大学時代の意外な一場面が思い出されてきて…。
習慣化コーチでマネタイズ
ビジネスの師匠からのアドバイス
私には、かつてコーチングスクールに通ってスキルを身に着けて、起業しようとして撃沈した経験があります。
それを知っている今のビジネスコミュニティーの師匠から、こんなアドバイスをもらいました。
「ちなさんは、コーチングのスキルもあるんだし、マネタイズしようと思えばすぐにでもできると思いますよ。」
「たとえば『習慣化』。ちなさんはランニングにしてもTwitter毎日投稿にしてもあっさりやってできてしまうけど、世の中には習慣化ができなくて困っている人たちがごちゃまんといるんです。そういう人たちに向けて『21日間一緒に伴走する習慣化コーチ』とかめちゃくちゃ需要があると思いますよ。」
なるほどー。そうなんだ。確かにそれをやればマネタイズも可能なんだろうなとは思う。でもどうしても「わあ!やってみたい!」とは思えませんでした。
できるからってやりたいわけじゃないってことがあるってことです。マネタイズはしたいけど、やるのはそれじゃないと思っているんですよね。
だから、師匠への返事も全然乗り気じゃない感じで、「そうなんですね~」とお茶を濁して終わってしまいました。
なぜ?マネタイズしたいんじゃないの?
いくらそれで仕事になる可能性があったとしても、やりたくないことって結局はできないものなんだとわかりました。
でもなんでやりたくないんだろう??
マネタイズしたいのに、提案されたことをやりたくない理由は何なのだろう?と考えました。
答えは、私の習慣化は「単なるパワープレイであって、楽しく続けているわけでは全くないからだ」ということに気が付きました。
私が習慣化できているのは、やめるのが怖くてやり続けるしかないと思っているから。だからこれを人に伝える気にはならないんです。
私からしたら、習慣化できなくてさっさと撤収する人の方がよっぽど「勇気がある」と思っています。だめだと思ったら無理せずに、すぐにやめられる人の方が断然すごいと思っているんですよね。
私は途中でやめる勇気がないだけです。だから続けている。それを「習慣化ができる」といわれてもピンときません。
人から見てできていることでも、本人にとっては全く別の意味を持っていることもあるっていうことなんだと思います。
「できる」けど「したくない」のはなぜ?
「途中でやめる勇気」がなかった
私がどうして「途中でやめる勇気」がもてないのか?を考えていたら、大学時代のことがよみがえってきました。
体育を専攻していた私は、セレクションで大学に入り、体育会の女子バレーボール部に所属していました。
セレクションというのは、通常は強くていい選手を集めるための仕組みですが、私の場合はこれがなぜか棚ぼた式に降ってきて、運よく乗っかって大学に入ったという経緯があります。
そもそもセレクションで入学させてくれるということは、「部活で活躍してもらいますよ」ということなので、「4年間部活はやめられない」というのが「掟」です。
もし途中で部活をやめたら、同時に大学もやめなければならないという暗黙の了解がありました。
私も、「どんなに辛くても4年間は続けなくてはならない」と覚悟を決めていました。なぜなら、私はどうしても体育の教員免許がとりたかったからです。
ところがです。同じクラスだったハンドボール部の男子が、セレクションで入ったにも関わらず、1年生の途中で部活をやめ、しかし大学はやめないというびっくり仰天なことをやったのです。
彼は全国に名前がとどろくほどの選手で、実力は申し分ない人。
その彼が、自分の考えを貫いて、セレクションの掟を無視して部活を途中でやめたんですよね。
この時、私は心の底から羨ましいと思いつつも「自分にはできない」と感じ、遠い人を見ているようでした。
だって、その彼への周りのまなざしには厳しいものがあったから。あの「掟破りめ…」的な視線に、私なら耐えられないだろうと感じました。
部活はつらくて毎日やめたかったけど、私は「やめる勇気」を持てなかった。周りからの批判の目に耐えて自分の考えを押し通すことなんて到底できるわけがなくて、だから続けるしかなくて、力ずくで部活を続けた大学4年間でした。
「習慣化は必要ない」が持論
この経験が大きく響いているので、いくらマネタイズできると言われても、習慣化を切り口にビジネスをしようとは全く思えません。
逆に、私が強く感じているのは、「本当に必要なことなら、絶対に続けられる」ということ。もし3日でやめてしまうのなら、それはそもそもやる必要のないことなので、「無理に続ける意味はない」と思っています。
「習慣化」なんて言葉があるからよくないんじゃないか?ぐらい思ってます。「習慣化」などといわれたら、「やめる」という選択肢は選びにくくなってしまいます。
もし本当に必要なことなら、絶対に続けることはできますよ。その力は誰にでも備わっていると思います。
おわりに
せっかく師匠から提案されたマネタイズのパターンに、全く興味を示せないばかりか、絶対にやりたくないとまで思ってしまい、自分でもちょっと気にかかっていました。
でもよくよく考えてみると、そう感じるのにはやっぱり理由があって、その理由を無視して進むことはできないんだとわかりました。
自分が「これだ!」と思うものでマネタイズしないことには、結局もとの木阿弥になります。
「これだ!」と思えるものを見つけることが、全てのベースになるんだと思います。
ここまでお読みいただきありがとうございました。